殺傷事件…
不の感情が積み重なり貯めこんだ結果なのでしょうか。
殺め、悪者になったらもう、
何があったかなんて関係なく同情の余地なんて無い。
被害者の長期の心のケアは親身に愛を持って絶対必要。
でも心のケアと言えば、時を戻せるならば、
考えられない犯罪を犯してしまう悪者に変わる前の人間にも心のケアをするべきだったのだろうな。
なんて思う。
誰かひとり愛を持って側にいて、光を目指せられただろうに。
その誰かがいなかったのでしょうか、
コミュニケーションを避ける、苦手、の結果だとしても、
それはその、悪者前の方の、悪なのだろうか。
あたしも闇を抱えた他人の側にいるつもりは無いので、説得力ないのだけれど
浄化できるほどの説得力も、癒しもアタシはたぶん至らないのだけれども
なにより、その人間も場所も無関係で、
すれ違う誰がどれだけの不を抱えてるか見極める事は無理で、
関わりの無い他人に話しかける図々しさも、十中八九でお節介な余計なお世話かもしれない行為をするメンタルも無いので、
有り得ないのだけれど、
でも、それが出来なかったこの同じ世界で暮らすウチのヒトリにアタシがいるような気がして心がキュゥっとなる。
誰かが言った「自殺するなら、他人を巻き込まず、一人で勝手に死ね!」とは思わない。
事件が起こってしまった後の結果論、悪者には慈悲はいらない、
んーまぁ、一般論それはそうかもだけれど。
あといっぽ捻くれたら…
2016年7月26日神奈川県の知的障害者福祉施設「相模原障害者施設殺傷事件」の、「重度の障害者は安楽死させた方がいい」という発想に、な気もする。
どんな命も等しく、尊く、愛しく思う。比べられない、どっちも生きてほしい。
「悪者」となる前の、この方のミライのアカリを一緒に見つけて、
命を絶つイカレタ行為を実行する想いを掻き消せれば、この方の命を守る事が出来る。
延いては、無関係の命も守る事が出来る。
「悪者」となってしまった人には、愛は完全に消え、否定しか出来ない。
まだ善人を保っている時に手を差し伸べ、心のケアをしたいものです。
アタシひとりとして想ってるだけで結局なんの影響も与えられない。
社会的にどうにか出来ないものだろうか。
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